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「おはやしが聞こえる」という逸話残るえんぶり烏帽子、岩手から八戸に戻る

「里帰り」した烏帽子を前に笑顔を見せる塩町えんぶり組のメンバー(写真提供=こなんぶ)

「里帰り」した烏帽子を前に笑顔を見せる塩町えんぶり組のメンバー(写真提供=こなんぶ)

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 岩手県久慈市天神堂地区で「おはやしが聞こえる」という逸話が残るえんぶり烏帽子(えぼし)が1月25日、かつて所有していた八戸の塩町えんぶり組の活動拠点に「里帰り」した。

修繕する前の烏帽子(2024年9月、写真提供=こなんぶ)

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 同組が活動する八戸市消防団第3分団3班屯所(八戸市柏崎3)に里帰りしたのは、同組で最も古いと伝わる烏帽子3枚。現在は久慈市の天神堂町内会が所有している。同組のメンバーが「父さん」と呼び親しんだ八戸を代表する郷土史家、故・正部家種康さんの祖父に当たる故・正部家正種さんが同組に寄贈した物で、1881(明治14)年または1919(大正8)年に作られたと考えられている。

 里帰りは、2月17日に開幕する祭り「八戸えんぶり」に合わせたもの。祭り期間に八戸に戻るのは22年ぶりだという。

 「えんぶり」の文化が伝承されていない天神堂地区では現在、烏帽子を天神堂公民館(岩手県久慈市)の祭壇に祭り、大切に保管している。「毎年2月17日になると烏帽子の中からおはやしが聞こえたり、烏帽子が動いたように見えたりする」という逸話が、同町内会に残されているという。「烏帽子が遊びたがっているのでは」と、同組代表の差波正樹さん。

 同組では、烏帽子の存在そのものは言い伝えられてきたが、長年行方が分からなくなっていた。2002(平成14)年、同町内会が同公民館で保管していることを聞きつけ、同組のメンバーが出向き、模様に「塩町和合組」の紋が入っていることを確認。翌2月17日、八戸えんぶりの「一斉摺り」で同組のメンバーが被って舞い、1度目の「里帰り」を果たした。

 同組ではその後、同町内会と交流を重ねようと模索していたが、コロナ禍の影響もあって交流が途絶えていた。

 昨年8月、同町内から烏帽子の修繕の依頼を受け、同組のメンバーが21年ぶりに八戸に持ち帰り、老朽化した立髪や前髪を交換し、くすみが目立っていた本体部分にニスを塗るなどして修繕。費用は全額、同組が負担した。関係者によると、この烏帽子が修繕されたのは50~60年ぶりだったという。

 1月25日の早朝、同組のメンバーが同公民館を訪れ、烏帽子と再会。メンバーが祭壇から烏帽子を丁寧に運び出し、八戸に持ち帰った。同町内会の関係者は「良いえんぶりにしてくださいね」と声をかけ、同組のメンバーを見送った。この日の夕方には、同屯所に祝福芸を担当する約20人の子どもたちが集まり、「里帰り」を果たした烏帽子を前に「恵比寿舞」「大黒舞」などの練習に精を出していた。

 同組では祭り最終日の2月20日まで、同組の祭壇に烏帽子を設置し、子どもたちを「見守ってもらう」予定だという。

 差波さんは「無事に烏帽子が里帰りし、安心している。先人から、烏帽子には魂が入っていると教わってきた。今の子どもたちは田植えをする機会は少ないが、豊作を願い行われているという意味合いを伝えていきたい。今年も事故なく祭り期間を過ごせれば」と話す。

 同組は祭り期間中、2月18日の「かがり火えんぶり」に20時から出演する。

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