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八戸藩南部家当主、「騎馬打毬」の存続呼びかける 市庁舎周辺でチラシ配布

八戸えんぶりを訪れた南部さん

八戸えんぶりを訪れた南部さん

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 八戸藩南部家16代当主の南部光隆さんが2月17日、八戸三社大祭の伝統行事の一つ「加賀美流騎馬打毬(だきゅう)」の存続を呼びかけた。

チラシ配布に参加した市民

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 八戸藩南部家は江戸時代の1664年~1871(明治4)年、現在の八戸市、階上町、南部町の一部のほか、岩手県久慈市、洋野町、葛巻町、軽米町、九戸村、紫波町の一部などを治めた。埼玉県在住の南部さんは会社員として働く傍ら、廃藩置県まで9代続いた歴代の藩主の歩みを伝えようと、青森県、岩手県を定期的に訪れ講演活動に力を入れる。

 南部さんは17日、八戸市中心街が多くの市民や観光客でにぎわう「八戸えんぶり」に合わせ八戸を訪れ、藩主の前で農民がえんぶりを披露した名残とされる「御前えんぶり」を鑑賞した後、自身のSNSで呼びかけて集まった市民と八戸市庁舎周辺でチラシを配り、加賀美流騎馬打毬の存続を呼びかけた。チラシは八戸騎馬打毬会が制作した。

 青森県の無形民俗文化財に指定される加賀美流騎馬打毬は、八戸の夏を彩る「八戸三社大祭」の中日の8月2日、長者山新羅神社(八戸市長者1)の「桜の馬場」で行われる。紅白2組に分かれた8人の騎馬武者がつえを持ち、馬を操りながら球を拾い上げ、「毬門」(ゴール)に投げ入れる。人馬一体となって激しく争う姿が見ものになっている。

 1827年、8代藩主の南部信真(のぶまさ)が現在の社殿や桜の馬場が整備されたことに合わせ馬術の振興を目的に導入し、初めて奉納された。同じような打毬は現在、同神社のほか、宮内庁、豊烈(ほうれつ)神社(山形市)のみで継承されている。南部さんによれば、発祥は中東で、ヨーロッパではポロ、日本では騎馬打毬として発展した背景があるという。

 南部さんは近年、かつて八戸を治めた大名家の当主として加賀美流騎馬打毬を観戦しているが、存続が危惧される状況にあるという。コロナ禍の影響で4年ぶりに実施された2023年以降は馬の確保が難しく、騎馬武者の数を6人に減らして実施。後継者や行事の運営費用の確保、桜の馬場の整備など、課題が山積していると訴える。

 南部さんは「本気で存続を呼びかけるなら、南部家の当主が率先してチラシを配るべきと考えた。配布に参加してくれた皆さんに感謝している。旧八戸藩領の皆さんが騎馬打毬を知ってくれれば、残していきたいと思う人も増えていくだろうという手応えを感じた」と話す。「まずは皆さんに来場してもらうことが存続の第一歩」とも。

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