特別展「廃藩置県150年特別展 今般廃藩之儀 最後の藩主・南部信順」が10月2日、八戸市博物館(八戸市根城)で始まった。
同展は、江戸時代末期から明治の八戸地域の状況を八戸藩9代藩主南部信順の歩みと共に展示。展示では、薩摩藩8代藩主島津重豪の息子であった篤之丞が、跡継ぎの早世が相次いだ八戸藩南部家に婿入りし、八戸藩9代藩主南部信順として難しいかじ取りを耐え抜いた流れを紹介。
幕末維新期、盛岡藩・八戸藩の南部領は幕府側、信順の本家島津家は新政府側と八戸藩がねじれた状況にあった。戊辰戦争で八戸藩は盛岡藩と共に奥羽越列藩同盟に参加し、野辺地戦争で新政府側の弘前藩と衝突。戦後処理では盛岡藩ほどの厳罰を受けず、同盟で唯一「領地安堵」とされ、1871(明治4)年7月14日の廃藩置県で藩の領域がそのまま「八戸県」とされたという。その背景には、盛岡藩と協力しつつも新政府側にも協力した、島津家出身の信順の的確な判断があった。八戸県は同年9月4日に、弘前、七戸、黒石、斗南、館(北海道)の5県と合併して「弘前県」に、同23日に県庁所在地が現在の青森市に移り「青森県」となった。特別展は、この出来事から150年の節目に合わせて企画された。
会場には、信順の父島津重豪直筆の「壽」の書や、南部家の向鶴紋、島津家の十文字紋が入った県重宝の漆器類、野辺地戦争関連の図や、向鶴紋の入った陣羽織のレプリカなどを展示。信順が使用した鎧は腹回りが大きく同館学芸員の野沢江梨華さんは「かっぷくの良い人だったのではないか」と話す。
野沢さんは「南部信順は八戸の最後の藩主。幕末維新の動乱を適切な判断で生き抜いた大変な殿様。ぜひ来場してほしい」と呼び掛ける。
展示では、激動の時代を生きた南部信順について「八戸の名を後世に残すという役割をきちんと果たした人物」と結んでいる。
開館時間は9時~17時。期間中の休館日は10月18日、25日、11月4日、8日、15日、22日。入館料は一般300円、大学・高校生150円、中学・小学生50円(30円)、八戸市内小・中学生は無料。11月23日まで。