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【特集】八戸在住の栗林さんが能登半島の復興支援で学んだこと 「八戸を好きな人を増やせば、防災になる」

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 八戸の地域振興に取り組む企業「バリューシフト」の栗林志音さんが現在、能登半島地震で被災した石川県輪島市三井町の「のと復耕(ふっこう)ラボ」の一員として活動しています。輪島市の内陸に位置する三井町は、築100年以上のかやぶき屋根の古民家が点在し、林業や農業を主要な産業とする地域。今年4月23日~5月23日、三井町を訪れた栗林さんは「見渡す限り、古民家が倒壊・半壊していた」と、その状況を振り返ります。栗林さんは8月中旬~9月下旬、再び三井町で復興支援に取り組みます。栗林さんが三井町の現状から学んだ防災のヒントや、その活動から八戸の未来に生かせると感じたことを聞きました。

栗林さんが見た、輪島市三井町の現状

 バリューシフトでは、地域コミュニティーを生かした観光振興やまちづくりに取り組んでいます。同社でコーディネーターとして活動する栗林さんは、NPO法人「ETIC」(東京都渋谷区)が取り組む、全国各地で地域振興に関わるコーディネーターを支援する仕組み「チャレコミ」を活用し、のと復耕ラボに派遣されました。

 のと復耕ラボは、三井町にほれ込んで移住したという山本亮さんが古民家を活用して運営してきた宿泊施設「里山まるごとホテル」を拠点に活動。1月1日の能登半島地震発生後、同施設は全国から集まるボランティアスタッフを常時約30人受け入れ、三井町や周辺地域の復興支援に取り組んでいます。

 栗林さんは、のと復耕ラボで、ボランティアスタッフの予約管理や活動先への派遣などを担当しています。

 栗林さんは4月23日、八戸から車を14時間走らせて三井町に向かいました。能登半島に入ると瓦屋根の落ちた民家が並び、土砂崩れによって寸断された道路や、地面が隆起した山道などが多かったと言います。

 「三井町は八戸の島守地区のような農村地帯。古民家が見渡す限り倒壊、半壊している状況だった」と栗林さん。人口約1000人の三井町は、農業に携わる高齢者が多く、復旧のためのマンパワーが足りない状況。がれきや瓦の撤去、公費解体することが決まっている住宅からの財産の救出、地震によって遅れていた農作業の手伝い、食品加工工場からの壊れた機械の搬出、中学校で避難生活を送る人のための炊き出し支援など、すぐに取り組むべき課題が山積していました。

 栗林さんは「高齢者の多い地域の課題が目の前で起こっていた。公民館に避難していた人の中には疲労困憊(こんぱい)している人も多かった。体力の限界や持病の悪化による災害関連死もあった」と振り返ります。

復興には被災者とボランティアをつなぐコーディネーターが必要

 のと復耕ラボで栗林さんが担当したのは、被災者の需要の掘り起こし。のと復耕ラボの敷地に設置されたテントで寝泊まりしながら活動を続けました。

 被災者の元を訪れて必要な支援を聞き取ってニーズを把握し、メールフォームを使って送られてくるボランティア希望者からの申し込み状況や地域の現状などをホワイトボードに書き出し、ボランティアを派遣。宿泊を希望する人の定員がオーバーしないように、テントの予約状況も管理しました。

 「ボランティアと被災者のミスマッチがあった。全国から能登を訪れたボランティアを受け入れられる地域住民や団体がないことも課題。三井町の被災者の中には『ボランティアに何をやらせたらいいのか分からない』『ボランティア活動をさせるのも申し訳ない』という人もいた」と栗林さん。その解決のため、被災者とボランティアのつなぎ役となるコーディネーターが必要だったと言います。

復興支援に生かされた「里山まるごとホテル」の取り組み

 「発災後にどんな活動をするのかも大切だが、発災する前にできることもある。輪島市の復興が今後どうなっていくかによって、今後起こりうる災害の復興の在り方が決まってくる」と栗林さん。

 のと復耕ラボ代表の山本亮さんは2014(平成26)年、地域おこし協力隊として三井町に移住。「地域の人を笑顔にしたい」と2018(平成30)年、里山まるごとホテルを立ち上げました。

 古民家に宿泊しながら、山菜摘み、農業体験、みそ造りなどのアクティビティーや、能登半島の郷土食を楽しむことができるサービスを提供。栗林さんは「三井町には、里山まるごとホテルの取り組みによって地域のお年寄りと山本さんの信頼関係あったから、若い人が入ってきても拒否されない土壌があった。震災後はこのつながりが生かされた」と話します。

八戸三社大祭に参加する中で感じた、地域コミュニティーの大切さ

 栗林さんは、八戸に戻った6月~8月上旬、八戸三社大祭に参加する山車組「下大工町附祭若者連中」に参加。約2カ月にわたって山車制作に携わり、祭り期間は山車の運行や、地域の商店や個人宅を訪れて「木遣(や)り音頭」を披露する「門付け」にも参加しました。

 明治時代から約140年近く続くとされる八戸三社大祭の山車づくりは、地域の消防団や町内会の活動が地盤となってその文化が守られ、2016(平成28)年、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録。八戸の人々が世代を超えて守り続けてきた伝統文化は、世代を超えた見守りのシステムとしても機能してきました。

 栗林さんは「八戸三社大祭の山車組は、まちづくりのモデル。世代間の見守りや防災の良い例。おじいちゃんやおばあちゃん、赤ちゃんも参加できる。5日間の祭りのために八戸に帰ってくる若い人もいる。祭りの関係人口を増やせば、防災や復興に必要な人、物、資金が集まるようになってくる」と話します。

8月~9月に取り組むこと

 栗林さんは8月15日~9月下旬、再び、のと復耕ラボに滞在します。次なる課題は、古民家の柱や床材を生かした「古材レスキュー」。八戸工業大学感性デザイン学科の学生と三井町に滞在し、公費解体される築100年以上の民家から貴重な木材を取り出して新たな活用方法を探ります。

 輪島塗の原材料となる能登ヒバを育てる三井町の林業にも目を向けます。「林業をなりわいにするには50ヘクタールは必要だが、三井町の林地のほとんどが1ヘクタール単位の私有林。これをまとめるために、所有者に会いに行く必要がある」と栗林さん。狩り時の木だけを切って木材として活用する自伐型林業によって、土砂崩れが起きにくい林業の姿を模索します。

八戸と能登を行き来する栗林さんの、これから

 災害は、いつ、どこで、どんなことが起こるのかわかりません。栗林さんは「一言で言えば、八戸を好きな人を増やせば防災になる。『地域のことをどうにかしたい』と思う人が一人でも多ければ、その総数が増えることで、関係人口も増えていく。『今すぐ防災について意識を持ってほしい』と言えば、乱暴な気がする。八戸三社大祭の山車組のように、幸せを感じられる環境や関係が身近にあって、それに関わる人たちが増えれば増えるほど、防災に強い地域になると思う。八戸を耕していこうという思いが大切」と話します。

 八戸と能登を行き来する栗林さん。今後は八戸の地域振興に取り組みつつ、将来的には三井町の「関係人口」の一人として、八戸を拠点に能登を見守る道を探ります。

関連リンク
バリューシフト
里山まるごとホテル
のと復耕ラボ(インスタグラム)
下大工町附祭若者連中(フェイスブック)
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