八戸地域社会研究会の8月例会がこのほど「南部の歴史秘話ヒストリー」をテーマに、八戸プラザホテル(柏崎1)で開かれた。
同会は1980(昭和55)年に地域住民が自らの力で豊かな社会を作っていくことを目的に設立。今回は八戸工業大学第二高校教諭の熊谷隆次さんが講師となり「南部一族の津軽為信 八戸と南部地域についての学び」と題して講演。会員や参加者約15人が郷土の歴史に理解を深めた。 熊谷さんはこれまで、八戸市史、青森県史、弘前市史の編纂に関わったほか、現在は岩手県北上市史、遠野市史などに関わる。
講演で熊谷さんは、南部氏の祖とされる南部光行について紹介。「南部家の宗家は三戸南部氏とされてきたが、この10年ほどの研究で八戸の根城南部氏が宗家であることが分かった」と説明。南部光行が三戸南部氏の祖だったする従来説は江戸時代に書き換えられたものであり、最近の研究から根城南部氏の祖であることが分かったという。
戦国時代に南部から独立を果たした津軽為信については、「祖母は根城南部家の出身」と紹介。津軽為信はもともと南部の一族だった久慈氏の出身で、兄との不和によって津軽に出奔し大浦氏に入り、わずか一年で南部から独立して津軽氏となったという。豊臣秀吉が津軽為信に宛てた朱印状には「南部右京介」の文字があり、「為信は南部の出身」と説明した。
参加者からの「為信は裏切者か智将か」との質問については、「為信は1年間で独立を果たした。為信は南部と対立した久慈家、九戸家と親戚関係。当時南部一族は七戸家とも対立していた。秋田の安藤氏とも連携し、南部家は内と外に敵がいる状態だった。為信の政治力は抜群だったと思う」と返答。青森市出身の参加者からは「為信は南部の出身だということを知り、受け入れ難いような気もしてただただ驚いた」という声が聞かれた。
研究会会長の髙橋俊行さんは「津軽為信が南部久慈の出身だったことは、思いがけない話だった」と話し、今後の活動について「コロナ禍が収まったら、地域の活性化についてフィールドワークを通して課題を抽出しながら、中心商店街や観光の活性化について実践的な活動をしていきたい」と展望も。
今回の例会は感染対策を徹底したうえで実施。八戸市内における感染拡大を考慮し、9月の例会は延期した。今後の開催については未定としている。