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八戸城正門跡が発見 明治の廃城後初めて

大手御門の跡が見つかった発掘現場

大手御門の跡が見つかった発掘現場

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 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館(八戸市是川、TEL 0178-38-9511)が10月26日、八戸城跡発掘調査で八戸城の「大手御門」と塀と思われる遺構が見つかったことを発表した。

大手御門の跡が見つかった発掘現場 遠景

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 1871(明治4)年の廃城後に大手御門の遺構が見つかるのは初めて。11月12日に同館で開く遺跡調査報告会で、詳細を市民に報告する。

 同館では本八戸駅通り地区整備事業の道路改良工事に伴い、9月1日から八戸市公会堂とコンビニエンスストアの間の市道の発掘調査を実施。10月17日、深さ約165センチの地中から、礎盤(そばん)と思われる石が2つ並んだ状態で見つかった。

 八戸城の絵図面と位置が一致するため、八戸城本丸の大手御門の跡だと考えられるという。城の本丸はこの門を通り、現在の三八城公園の場所にあったとされる。大きい石は約125センチ×80センチ、厚さ20センチ、重さ推定320キロ。小さい石は約100センチ×60センチ、厚さ約10センチ、重さ推定150キロ。2つの石は中央部から約340センチの間隔で置かれており、石の上には門柱が建てられていたと考えられる。

 絵図面によれば大手御門には通用門があり、礎盤はもう1つあると考えられたが、地中に水道管を通した際に撤去された可能性があるという。現時点では大手御門は板ふき屋根だったと考えられている。同館では今後、石を取り出し分析を進める。八戸市中央児童館沿いの市道の地中からは八戸城本丸の南東部にあった塀跡も発見され、市道が当時の通路と同じ位置に整備されていることも分かった。今後発掘現場は埋め戻し、道路工事が進められる予定。

 八戸城は1629年ごろ、南部藩主南部利直の命で代官所として築城されたと伝わり、南部藩が盛岡藩と八戸藩に分かれた1664年から廃藩置県によって青森県が成立する1871年までは八戸藩主の居城や藩庁として機能していたとされる。八戸城の大手御門は三戸南部氏・盛岡南部氏の居城であった三戸城(三戸町)や盛岡城(岩手県盛岡市)の門と比べやや小ぶりだったと考えられるという。

 是川縄文館の工藤朗館長は「八戸城は江戸時代の絵図面でおおよその配置が分かっていた。今回の調査で絵図面通りの場所に大手御門があったことが分かり、絵図面が正しいことが分かった。八戸城の配置を調査する上で大きなポイントになると思う」と今後に期待を寄せる。

 調査報告会は14時~15時30分。入場無料。事前申込制。先着50人。申し込み、問い合わせは同館まで。

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