イトーヨーカドー八戸沼館店(八戸市沼館4)の閉店セレモニーが8月31日、ショッピングセンターピアドゥ(同)北側広場で行われた。
鍬田明美店長と高橋幸雄副店長に花束を贈る「おべんとうマーケット」関係者
同店は1998(平成10)年3月12日、ピアドゥのメインテナントとしてオープン。8月31日の閉店まで約26年間、市民の生活を支えた。
18時30分、店内放送で閉店を知らせる「蛍の光」が流れても多くの来店客がとどまり、記念写真を撮ったり店内を眺めたりして、なじみの店との別れを惜しんだ。従業員が北側入り口に列を作り来店客を見送ると、先頭に立つ鍬田明美店長のところに駆け寄って握手をしたり言葉を交わしたりする人の姿もあった。
19時15分ごろから始まった閉店セレモニーには、イトーヨーカ堂のロゴマークがプリントされたグッズや感謝を伝えるメッセージなどを持った市民が詰めかけた。鍬田店長は約13分に及ぶあいさつで、この日のために考えていたという「取っておきのエピソード」を明かした。
2017(平成29)年9月6日、同店8代目の店長に着任した鍬田店長は、同店がオープンした1998(平成10)年3月12日の開店セールの応援のために八戸に来ていたという。「開店前夜、当時はまだ営業していた中心街の八戸店で買い物をした後、宿泊した市内のホテルの従業員が八戸沼館店への行き方を丁寧に教えてくれた。翌日その通りに八戸沼館店を目指すと、きらきらと輝く看板が目に入った。その時は自分が店長になるとは思っていなかったが、縁を感じる」と振り返った。
同店は2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災で、全国のイトーヨーカドーの店舗で唯一、津波被害を受けた。当時の従業員は、大津波警報が出される中、来店客を屋上に避難させた。自宅に帰ることができなくなった来店客には食堂に宿泊してもらい、翌朝は朝食にサンドイッチを提供したという。閉店に向け同店に寄せられたメッセージの中には「あの時、家に無事に帰ることができたのは、イトーヨーカドーの従業員が使い捨てカイロや毛布を渡してくれたから」というメッセージもあったという。鍬田店長は「従業員も怖かったと思うが、お客さまのことを一番に考えて行動できたことは本当に尊敬でき、素晴らしいと思った。お客さまにもその時の記憶が残っていた」と話した。
同店は地域に寄り添った店舗運営を続けた。2021年、コロナ過の影響で売り上げが減少する個人経営の飲食店に店の一角を提供し、弁当を販売する「おべんとうマーケット」を実施。2022年12月以降は、「八戸の自慢になるものを発信したい」と、八戸や青森の食品、祭りの山車、地酒などをかたどったカプセルトイをアサヒ印刷(弘前市)の協力を得て開発し、販売し続けた。閉店に向けて同店が発売したイトーヨーカ堂のロゴマークをあしらったカプセルトイは、2025年度までに閉店する全国の店舗でも販売するという。
鍬田店長はイトーヨーカ堂のロゴマークの色が持つ意味にも触れた。下部の赤色は情熱、上部の青色は清潔、中央の白いハトは誠実を意味するという。鍬田店長は「従業員は情熱をもって売り場を展開し、お客さまの口に入る食品や衣類は清潔に保ち、誠実を胸に今日まで頑張ってきた。もうこのお店を開けることがないのは残念だが、お客さまからの『思い出を胸にこれからも頑張る』というメッセージに勇気づけられた。私たちと過ごした時間を、皆さんの気持ちの中に刻んでもらえれば本当に幸せに思う」と声を詰まらせた。
あいさつの最後、鍬田店長と従業員が「お客さま、26年間のご愛顧、誠にありがとうございました」と呼びかけると、詰めかけた市民から「ありがとう」の声や拍手が沸き、「おべんとうマーケット」の関係者から鍬田店長と高橋幸雄副店長に花束が贈られた。
ピアドゥを運営する八戸臨海開発(沼館4)の大久保浄(きよむ)社長は「イトーヨーカドーとは26年間ずっと一緒に歩んできた。八戸店から数えると44年、八戸の暮らしを支え続けてくれたと思う。イトーヨーカドーの情熱や思いを受け継ぎ、今後も皆さんに愛されるショッピングセンターを目指す。鍬田店長とはコロナ禍の苦労を共にした。『本当にお疲れさまでした』という言葉をかけたい」と話す。
イトーヨーカドーのファンだという十和田市在住の女性は「八戸に遊びに来るたびにイトーヨーカドーに立ち寄り、服や雑貨を買っていた。青森県からイトーヨーカドーがなくなってしまうのは寂しい。遠くからでも訪れたい店だった」と閉店を惜しむ。