八戸在住のジャズピアニスト、デビッド・マシューズさんがリーダーを務めるジャズバンド「マンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)」が、デビューから40周年を迎える。
MJQは1983(昭和58)年、音楽プロデューサーの川島重行さんが企画。故ジェームス・ブラウンさんのアレンジャーを務めたマシューズさんのほか、トランペット奏者の故ルー・ソロフさん、サックス奏者のジョージ・ヤングさん、ベース奏者のチャーネット・モフェットさん、ドラム奏者のスティーブ・ガッドさんで結成。1984(昭和59)年7月11日にニューヨーク市内でレコーディングされたデビューアルバム「Manhattan Jazz Quintet」のレコードは、これまでに約20万枚を売り上げた。82歳になるマシューズさんは現在、ニューヨークから八戸に拠点を移し、音楽活動を続けている。
初めての日本ツアーは1986(昭和61)年だった。マシューズさんがアレンジした楽曲が日本のジャズファンに受け入れられたことをきっかけに、1989(平成元)年にはビッグバンド「マンハッタン・ジャズ・オーケストラ(MJO)」を結成した。それ以来、マシューズさんは両バンドの顔としてニューヨークと日本を行き来し、日本のジャズファンに向けたジャズアレンジと演奏活動に取り組んできた。マシューズさんは「アバンギャルド(前衛的)なジャズが多かった当時、日本の皆さんにスイングやビバップのリズムで演奏する『ハッピージャズ』を届けたかった」と振り返る。
マシューズさんは「郷に入っては郷に従え」を日本での音楽活動のテーマにしているという。MJQの結成から約15年前まで、音楽活動の傍ら、ニューヨーク市内の語学学校で日本語や日本文化を学んだ。日本で行うコンサートの司会やファンとの交流では日本語で冗談を交えて話し、ファンから「マーちゃん」の愛称で親しまれる。
初めて八戸を訪れたのは2006年(平成18)年6月。八戸市公会堂(八戸市内丸1)で行われたMJOのコンサートだった。コンサート後に立ち寄ったみろく横丁(三日町、六日町)でファンと交流し、八戸の地酒や魚に心をつかまれたという。2009年9月、八戸出身のプロモーター故浅石雅道さんが天聖寺(十六日町)でMJQのコンサートを企画。マシューズさんはこれ以降、プライベートで八戸を訪れることが多くなった。「MJQやMJOを作らなければ、日本に何度も来ることも、八戸を知ることもなかった。みろく横丁は思い出の場所。ファンとミュージシャンが一緒に食べたり飲んだりしたのは、初めての経験だった」とマシューズさん。
2011(平成23)年7月、八戸の音楽フェス「南郷サマージャズフェスティバル」に初めて出演。八戸の祭り八戸三社大祭のお囃子(はやし)をジャズにアレンジしてMJQのメンバーと共に披露し、詰めかけた約2000人のジャズファンを沸かせた。2016(平成28)年には八戸のコミュニティー放送局BeFM(番町)でラジオ番組「David Matthews Presents On Air Gig(オン・エア・ギグ)」が企画され、約1年、レギュラー出演した。熊本県大津町や北海道千歳市にも長期滞在するようになり、2020年3月、在留資格を取得。翌3月、八戸市内の一軒家で暮らし始めた。
現在は八戸の自宅で作編曲に取り組む傍ら、音楽仲間を自宅に招いてセッションしたり、市内のライブハウスで行われるジャズライブに参加したりし、八戸での活動を楽しんでいる。桔梗野小学校(市川町)で活動する器楽愛好会「桔梗野ミュージックフレンズ」の児童とも交流を深め、2021年、同校70周年を記念した合唱曲「ゆめのはな」を作曲した。プライベートでは、近所に行きつけの居酒屋を見つけ、青森の地酒「陸奥八仙」「桃川」や、青森・岩手の郷土菓子「てんぽせんべい」を使った天ぷら、八戸せんべい汁を楽しむことが日課になっているという。
「八戸は僕のホーム。上手なジャズミュージシャンが多く、音楽があふれる都市。ずっと住み続けたい」と話すマシューズさん。シンガーの故ジョン・ヘンドリックスさんが言い残したという言葉に例え「八戸の皆さんに伝えたい言葉はただ一つ。それは『リッスン』(聴いてくれ)だ」と呼びかける。
マシューズさんは7月27日、シンガーの齋藤悌子さん、八戸出身のトランペット奏者類家心平さんと第32回南郷サマージャズフェスティバル2024に出演する。会場はカッコーの森エコーランド(南郷)。開演は15時30分。入場料は、前売=6,000円、当日=7,000円。高校生以下無料。