岩手県久慈市で保管されるえんぶり烏帽子(えぼし)3枚が8月31日、八戸の塩町えんぶり組の下に「里帰り」した。
えんぶりは毎年2月、旧八戸藩領を中心に行われる伝統芸能で、「八戸のえんぶり」として国の重要無形民俗文化財に指定される。「田の神が宿る」とされる烏帽子を太夫と呼ばれる演者がかぶり、米の豊作を祈る舞を披露する。同えんぶり組は、えんぶり行事の中で最も規模の大きな祭り「八戸えんぶり」に出演し、継承活動に取り組む。
同えんぶり組によると、「里帰り」した烏帽子は1881(明治14)年または1919(大正8)年に作製されたと考えられ、少なくとも100年がたち、同えんぶり組の烏帽子の中で最も古い物だという。昭和初期まで同えんぶりが所有し、舞を披露する際に使っていた。時期は不明だが、岩手県久慈市天神堂地区に住む個人の手に渡り、長年行方が分からなくなっていた。
同えんぶり組は2002(平成14)年、天神堂町内会が保管していることを突き止め、翌年の八戸えんぶりに合わせて借用。同2月17日、八戸市中心街で行う「一斉摺(ず)り」でメンバーがかぶり、舞を披露した。以来、同えんぶり組と同町内会の交流が続いていた。
烏帽子は現在、同町内会が所有し、天神堂公民館(岩手県久慈市)に祭っている。毎年8月に同地区で行われる祭りで展示されるが、久慈市ではえんぶりの文化が途絶えたため、かぶって舞うことはないという。同えんぶり組の関係者によると「毎年2月17日になると烏帽子の中からおはやしが聞こえたり、烏帽子が動いたように見えたりする」という逸話が、同町内会に残っているという。
2020年、紙製の立髪や前髪の老朽化が目立っていることから同町内会から同えんぶり組に修繕を依頼していたが、コロナ禍の影響で見送られていた。
8月31日、同えんぶり組のメンバーが同公民館を訪れ、同町内会の関係者が見守る中で烏帽子と再会。保管されていたガラスケースから丁寧に運び出し、活動拠点の八戸市消防団第3分団3班屯所(八戸市柏崎3)に持ち帰った。烏帽子が八戸に「里帰り」するのは、21年ぶり。
同えんぶり組では今後、烏帽子を分解し、立髪や前髪を付け替えたり、表面につや出しの塗料を塗ったりする。修繕費は同えんぶり組が負担する。
同えんぶり組代表の差波正樹さんは「年内には修繕を完了させて天神堂に納め、おはやしを披露するなどしたい。これをきっかけに交流を大切にしていきたい」と話す。