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八戸工大二高の生徒が明治時代の新聞でえんぶり調査 伝統芸能の歴史学ぶ

八工大二高の生徒がえんぶり調査

八工大二高の生徒がえんぶり調査

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 八戸工業大学第二高校の生徒が総合探求の授業で明治時代の新聞記事から伝統芸能八戸えんぶりの出来事を調査している。

 調査は、本年度から始まった総合探求の授業の一環。2学年の生徒7人が、八戸市立図書館が管理する1891(明治24)年~1912(明治45)年の東奥日報・奥南新報・八戸新聞の記事から、八戸えんぶりに関わる内容を抽出し、パソコンで打ち込んで解読している。八戸市教育委員会が令和元年から取り組む「えんぶり総合調査」に合わせて調査に着手したもの。

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 調査では、明治30年代に相次いでえんぶりが中止になったことが判明。1897(明治30)年に明治天皇の母親にあたる英照(えいしょう)皇太后の崩御、1898(明治31)年・1899(明治32)年には赤痢や天然痘の流行による中止。1901(明治34)年に実施されるが、1902(明治35)年には八甲田雪中行軍の遭難事故で再び中止を余儀なくされた。

 1902(明治35)年~1914(大正3)年の12年間は凶作が続き、1903(明治36)年・1904(明治37)年には「やませ」による凶作によって中止されていたことが分かった。調査では「この時代は日露戦争によって不景気に陥っており、戦争もえんぶりの開催に影響したと考えられる」としている。

 調査を進めている同校2年の井上帆佳(ほのか)さんは「今年は新型コロナウイルスの影響でえんぶりが中止になったが、明治時代は凶作や貧困、政治や経済の影響がえんぶりの開催に大きく受けていたと考えられる」と社会情勢とえんぶり開催の関係を過去と現在で比較する。

 調査では皇族の崩御、財政難や貧困、感染症の流行、凶作、疫病がえんぶりの中止に大きく関わっていたと統括。資料解読を通して、古典の知識や教科の横断的な学習などを通して自己解決力を身に付けることができたという。

 同校教諭の熊谷隆次さんは「当時の新聞は古文のようで最初は難読だったが、生徒たちは段々と慣れてきている様子。えんぶりという民俗から地域・社会・国全体の動きに対する発想を広げられていると感じる」と話す。

 生徒は進級後も、大正、昭和の出来事からえんぶりの歴史を調査していく。

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