八戸藩南部家16代当主の南部光隆さんが6月27日、昨年12月8日に最大震度6強を観測した地震で被害を受けた八戸市内のゆかりの地を巡った。
江戸時代、青森県南東部や岩手県北部を領地とした八戸藩を治めていた八戸藩南部家。埼玉県在住の南部さんは毎月旧藩領を訪れ、講演や市民との交流を通し歴史・文化の継承活動に取り組む。
この日は午前中に八戸入りし、青森県史跡の八戸南部家墓所(八戸市長者1)、三八城(みやぎ)神社(内丸1)の被害状況を確認した。6月25日には八戸で最大震度6弱を観測する地震が発生したことから、新たな被害も懸念していたという。
南宗寺(長者1)の本堂裏手にある墓所には、初代藩主直房から続く歴代当主の墓が並ぶ。昨年の地震では5代藩主信興の墓石が倒壊したほか、家臣家の墓も被災した。寺の関係者から復旧に向けた予定を聞き、7月以降に復旧作業が始まる見込みであることを確認した。直房の墓前には花が手向けられていた。関係者によると、参拝に訪れた市民によるものだという。南部さんは「5代目は、藩が凶作で苦しむ中、身の程に合った暮らしをするよう『上見ればかなわぬことの多かりき、笠着て暮らせ己(おの)が心に』の家訓を遺した。墓石の修繕が決まり安心した。花を手向けてくれる人には感謝している」と話す。
一方、三八城神社では昨年12月8日の地震でちょうず舎や複数の石灯籠が倒壊し、現在もその状態が続く。「草木も生い茂り、境内の状況に心配が残る」と南部さん。神社関係者に復旧の見通しを尋ねたが、6月27日時点で具体的な予定は決まっていないという。
八戸市庁(内丸1)近くの八戸城跡に建つ同神社は1878(明治11)年、11代当主の麻子さんの呼びかけで建立され、再来年に150周年を迎える。直房や「南部家の祖」とされる平安~鎌倉時代の武将・南部光行などを祭る。拝殿に掲げる「三八城」の額や、境内の稲荷神社の鳥居の文字は八戸藩南部家ゆかりの人物の直筆という。近年は大鳥居が老朽化に伴い撤去され、境内では狛犬が見えなくなるほど草木が繁茂する様子や、拝殿の屋根が植物で覆われ始めている様子も見られる。
南部さんは「(三八城神社は)江戸時代に作られた南部家ゆかりの複数の文化財がある。歴史を伝える大切な場所なので、これからも良い環境で受け継がれていってほしい。再び、市民の皆さんの憩いの場になれば」と話す。